革新的だった
「炭酸」という新発想
「元気ハツラツ!」でおなじみのオロナミンC。その開発の歴史は今からなんと半世紀前となる昭和36(1961)年。大塚製薬初の医薬用ドリンク剤「グルクロン酸ビタミン内服液」、翌年同時発売の「キングシロー」「クインシロー」まで歴史を遡らなくてはなりません。これを超える新製品を作りたいという思いの元、「炭酸のさわやかさ」というそれまで誰も思いつかなかった革新的な新発想で開発をスタートしました。
当初、オロナミンCも医薬用ドリンク剤として厚生省に申請する予定でしたが、炭酸ガス入りは、医薬品の許可がおりないことがわかりました。ガス抜きを検討したこともありましたが、そうすると味は明らかに落ちてしまいました。そこで思い切って医薬品ではなく、食品としての販売の決断を行ったのです。

クインシロー

キングシロー

グルクロン酸
ビタミン内服液
「オロナミンC」
商品名誕生秘話
「炭酸」という革新的なアイディアで開発の糸口をつかみ、
「おいしいドリンク剤」を追及した結果、ついに昭和40(1965)年、革新的な炭酸ドリンク「オロナミンC」が誕生。
商品名には大塚製薬の大ヒット商品「オロナイン軟膏」の「オロナ」と、豊富に含まれた「ビタミンC」の「ミンC」を取って「オロナミンC」と名づけられ、一人でも多くの方々に愛飲されるドリンク剤を目指し、歴史的一歩を踏み出したのです。

大村崑さんクラスター
販売困難という壁は
こうして乗り越えられた
ホーロー看板
「身近なところから消費者を」という方針のもと、オロナミンCの営業マンは従来の取引先を中心に、よく冷えたサンプルの配布に努めます。ところが、主要販売先である薬局系ルートでは、清涼飲料水であるオロナミンCは販売困難という壁に直面。そこで
食系小売店、交通機関、病院、学校、スポーツ施設、遊技場、浴場など、当時未開の地であった販売ルートを、一軒ずつ地道に開拓していったのです。
「もう一度飲みたい」を
感じてもらうために
販売網の開拓、ホーロー看板やテレビCMによる宣伝活動とともに、「一度でも飲んでもらえれば、確実に次の需要に結びつく。
また、飲んだ方が他の方にも薦めてくれる」として、各所でサンプリングによる商品価値の伝達を行った結果、もう一度飲みたいという気持ちをお客さまに感じてもらえる商品となったのです。
オロナミンC 1965年CM
年間売り上げ1億本突破せよ
オロナミンC発売から5年を経た昭和45(1970)年。アジア初の大イベントとなった大阪万博で決行されたのが「万博作戦」と呼ばれたミッションでした。
場内では全売店180店中実に105店でオロナミンCを販売、場外では大阪周辺のみならず北海道〜鹿児島の各交通関連施設で販売を強化。作戦は功を奏し、2年後にはついに年間売上1億本を突破。「万博作戦」の努力は、こうして実を結んだのです。

かつてのオロナミンC製造ライン
牛乳?卵?ウイスキー?
新感覚な飲み方
当時のテレビコマーシャル
「老若男女を問わず愛され、家族みんなに飲んでもらえるドリンクになる」という信念とともに成長したオロナミンCが、大阪万博以降さらに人気を高めたのが新しい飲み方の提案でした。
牛乳と合わせた「オロナミンミルク」、卵黄を混ぜた「オロナミンセーキ」、ウイスキーを割った「オロナミンウイスキー」などが話題に。昭和47(1972)年の大村 崑さんが家族でオロナミンCのカクテルを楽しむCMもこの頃です。